大会結果シリーズは続きます。今回は珍しい元旦マラソン大会です。
いつも、年末年始は嫁か自分の実家に帰る時で滋賀にはいません。ですが、この時は娘の予定日2ヵ月前で長時間の移動は大変だろうという事で滋賀に留まる事にしました。そのため、滋賀の最寄の大会を選んで出場です。
10km大会は初。実はこの大会あまり調子は乗り切りませんでしたが自己ベストです。
滋賀県は東近江市の八日市というところで開催されました。公園&陸上競技場になっているのですが、丘の上にあります。そのため、アップダウンが中々激しい大会です。
八日市は民間の飛行場があった事で有名なようです。
また、戦時中に戦闘機を隠しておく掩体壕(えんたいごう)がいくつか残っており、当時お国から取り上げられた地主の土地が使われています。戦後その扱いに困り、未だに今後どうしていくのかが決まっておらず社会問題になっているそうです。
ちなみに、八日市には滋賀県の平和祈念館があります。平和祈念館というと広島や長崎が有名ですが、滋賀にも結構立派な記念館があります。興味のある方は調べていかれてはいかがでしょうか?
肝心のマラソンです。僕はメーカーでIEをしていますが、来期予算を立てるこの時期は非情に忙しく疲弊しています。風邪を沢山引いています。そのため、あまり期待できないだろうな…と思いながら臨んだことを覚えています。大会のレベルも高く入賞など絶対に無理なレベル(10km 35分以下)。セミプロも結構出る大会のようです。
【当時の日記】
皆さん、明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
一年の健康は元旦にあり。という事で!東近江元旦マラソン10キロに参加。
コースはアップダウンが多い事で有名な大会です。
1キロまでは大きな下り坂
4キロまでは平坦
5キロまで心臓破り坂
以降はアップダウンの連続。辛かった。特に5キロ以降。
以下ラップ
4分01
4分14
4分14
4分16
4分35
3分52
4分32
4分24
4分23
3分43
結果は42分30秒でした。
目標30秒未達でしたが6キロ過ぎから右脇腹が痛くなっても平坦な道で4分25秒切りしてるからヨシとしよう。ハーフサブ1.5ペースぐらいか。
レース終了後はぜんざいに漬物(美味しい!)
さて帰るかと思ったら……抽選で当たってました!ビスケットとチーズケーキをget!中々良い一年のスタートじゃない。大きな滑り台もあったので今度、息子と来るかな。
当時を振り返って
2016年は僕にとって転機が訪れた年です。仕事はこれまで本当にきつくて成果が出なくて悲しくて情けなくて切ない状態が続いていました。また、2人目の子供が出来て不安で仕方ありませんでした。一人でもあれほど忙しくうまく出来なかったのに二人もいけるのか….どんな時間割で日々を過ごせば回るのか….と。超マイナス思考で元気が無い時期を2013年4月からなんと3年も過ごしていたのです。
しかし、16年は本当に転機がきた!
①愛娘の誕生
3月に娘が生まれ、僕は娘が心の底から欲しかったので嬉しかった。一人目は忙しく、勝手も分からない育児を率先してこなした。
・常に抱っこして
・ミルクを嫁以上にあげて
・いつも一緒に寝る
・おむつも変える
・泣いたら速攻で抱っこしてあやした
女の子は本当に可愛いので全く苦じゃなかった。何より、息子は全く抱っこしてあやしても寝てくれなかったのに対して、娘は速攻で寝てくれる。
しかも、嫁じゃあまり寝なくて僕ならすやすや寝てくれる状態。あ……頼りにされるとこんなに嬉しいのか。と実感した年でした。週末はいつも朝からお昼寝、昼もお昼寝、夜は一緒に寝る。常に一緒。
嫁との仲も非常に悪かったのですが、娘の育児が上手くいったので嫁もうまく言えないですが穏やかな表情になりました。普通のまともな会話が出来るようになったんです。家が居心地が良い状態になった感じですね。ようやく普通の家庭が出来てきたって。
娘の名前を生まれてから考えたのですが、必死に考えて嫁が僕の考えた名前で良いよと言ってくれた事も嬉しかった。絶対自分の考えは曲げない人の言う事は聞かない性分だったのにどうした? 今でも気に入っている名前です。保育園でもかわいらしく呼ばれています。そんな娘を今朝保育園に送って泣かれましたが(19/10/21)….苦笑
②マネージャーに昇進
僕は会社員でいるならば、将来組織を束ねて小さな規模で良いので工場長になるのが夢です。そのためには最低でも次長にならないといけません。37までに係長(マネージャー)と思っていたのが、意外に早く33歳でなれました。
しかも、3年間ずっと考えが合わずに苦しみ続けた直属の上長(マネージャー)が異動になった後です。この方は考えが合わずに苦しむのですが、嫌いにはなれなかった。何故なら、彼なりの信念を持っておりそれに関して努力を惜しまなかったから。
僕はただの評論家風情にはめっぽう強く、課長だろうが部長だろうが論理がおかしい人が感情論を振りかざしてきた時には返り討ちにしていました。自ら努力する事を辞めた人は穴が多く、一回その場でボコボコにされても理論武装して挑めば必ずこちらのものにできたからです。
でも、彼は朝7時から晩は22時まで毎日働き、怠けず、自分の信念に真っすぐでした。だから、考えは違っても理解はできました。中々あれほど肝が据わっており信念に突き進む人はいません。今でも一目置いています。(実は今ではマネジメント面で助けてもらっています。昨日の敵は明日の味方です。)
初めは3人でスタートした係も今では隣のマネージャーの役定を機に吸収し、11人にまで膨れ上がっています。プレイングマネージャーは大変です。ですが、自己成長と部下成長と組織成長を体感できるので職業人として幸せです。
③3年越しの生みの苦しみ、大革新プロジェクトが動き出した
単に現状分析と後手に回っていた状態からIE生命を掛けた会心の企画が承認され動き出した年でした。ただの部門トップだけでなく事業部長、役員にまでプレゼンしてボコボコにされながらも一定筋の良さは認めてもらい、複数部門・数百人を巻き込んだプロジェクトがスタートにかこつけられました。
マラソンからだいぶ話がそれましたが、良い年でした。
元旦抽選会で景品もあたりましたし♪
以上です!………あ、また記録証の写真がないw
【寒い身体にはもってこいのおしるこ】
【この株は味がしみ込んでいて本当においしかった】
【頂いた景品】