ようやく今手元にある大会日記シリーズが終わります。最後です。サブ3.15を狙って撃沈したフルマラソンです。実は、前回の木曽三川マラソンの2週間後に、腸脛靭帯炎(ちょうけいじんたいえん)を再発しました。しかも、右足に….。
この故障が治り切らない(ハーフ以上走ると走れるがじくじくと右足が痛む)状態で挑んだレースです。スピード練習もしていましたが35km走はできず(故障のため)でした。
練習段階で30km走を1本走ったのみです。(自己ベストです。)
当日のレース展開までの練習日記を見てみます。
【練習日記】
19/3/2
今日は久しぶりにハーフ練習。スピード練習用シューズのターサーで実施。
キロ4分30を目指したが10km過ぎでバテ気味になり、21.36kmを1時間35分50ぐらいで通過。特に18km辺りからは息切れキツくキロ4分40から45に低下。
実際のハーフは21.1kmぐらいなので一応目標の1時間35分切りは達成したが、サブ3.15はまだまだ心肺機能が付いていかないと思う。
来週は30km走を予定してるが、ペースどれぐらいで刻むか悩みどころ。サブ3.15のキロ4分37から40ぐらいか?
あと、脚をかなり使った走りになっているようだ。ふくらはぎが、つりかけている。力入れるとつる…
19/3/11
土曜日に30.390km走実施。
1.013km4分37秒を刻む事を目標にフラットな道でチャレンジ。(と言っても高低差70m)
結果は2時間18分40秒(10秒オーバー)で30.390kmの自己ベスト更新。
(自己ベストは、二年前の土山フルマラソン中の30km地点の2時間26分)
まだ、行けたが右脚や左脚のちょうけい靭帯を防ぐため辞めた。あとは2kmをゆっくりジョグ。
走り終えてハムストリングに鈍い筋肉痛。腰を使って走れたようだ。
故障が不安だったが、これだけのハイペースを30kmも刻めたのは素直に嬉しい。
3週間後に大阪のフルマラソンを申し込んだが、ここを照準に調整に入る。目指すはサブ3.15、次点でサブ3.20。
当時を振り返って
30km走で自己ベストを叩き出す事ができましたがレースまでの30km走はこの1本のみ。岐阜木曽三川マラソン後の1/21からしばらく、右足の腸脛靭帯の痛みが酷く距離が伸ばせなかった。
一抹の不安を抱えた状態で試合当時を迎えます。
【当日の日記】
19/3/30
なにわ淀川フルマラソン行ってきます。
気温10度ぐらい。
天気曇り。
風あり。
課題
腹痛
右脚ちょうけい靭帯
目標
第一 4分37(サブ3.15)
第ニ 4分44(サブ3.2)
第三 3時間25分切り(自己ベスト更新)
腹痛せずに4分37を先ずは刻めるか身体に相談していこう。
レース後
結果は惨敗。
3時間55分。
21キロ過ぎで激腹痛で27kmぐらいまで止まるようなスピードに…35kmすぎに35kmの壁到来し、脚が止まった…38kmでふくらはぎがつる。
教訓
30kmまで飛ばすべからず。
補給は一度にひとつ。ふたつ取ると激腹痛に。
35km走が大会前には必須。(35kmの壁対策)
フルの戦略は難しい。タイムでねぇ……と思ってからの残り12kmは精神的に重い。
当時を振り返って
ここに書かれていませんが、腸脛靭帯もかなりきていました。
右足は徐々に痛くなり鈍痛が続く。最後35km以降ではなんと左足も軽く鈍痛がきて両足故障に。ここから暫く故障に悩む事になります。短い距離でも痛む。。インソールをもってしてもです。(インソールのおかげで数キロは走れる状態)
今思えば、ハーフで補給戦略を誤って消化しきれない量を取って激腹痛に襲われた時にリタイアすればよかったです。サブ3.5の2か月後にサブ3.15が達成できるほど甘くはない。1年入念に準備すべきでした。
腸脛靭帯の痛みはゴールデンウイーク直前まで続きます。辛くも、家族全員がインフルエンザにかかって1週間以上走れない状態が続いて治りました。その後は少しずつランを再開して、ようやく9月からまたハーフ、25km、そして10月に30km走を挑戦できるほどに回復してきました。
マラソンの世界は甘くない
努力が報われない時はある
大切なのは焦らない事だと思う
大丈夫。焦らず努力を続ければサブ3.15はきっと達成できる。そう期待して日々頑張ります。自分の期待に応えたい。
以上です。マラソン大会記録レポートシリーズはこれで終了です!今後は、大会に出るたびにレポートを追加しようと思います。
【記録証:目標未達成なのでやる気ない撮影】
【会場周辺】
【開会式会場】
“【マラソン17.】「2019 なにわ淀川マラソン」フルマラソン 3時間55分06秒” への1件の返信